人文系ポスドク経験者の末路について

本音の話
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さて、本音の話については、完全なる私個人のライフログ的なお話を書いています。

求職もしましたので、ちょっと思うところもあり。

基本的に、世の中に対して警戒心なく生きてきた人間なので、この話は一度書いておかないといけないと思いつつ、書けずにいたことでもあります。

すでにドロップアウトして3年近く経っているのに私の人生に少しだけ暗い影を落としている話でもあり、(正確には死ぬほど中途半端な位置にいるのですが(笑))世の中には私よりずっとすごい人がいても研究の世界では生き残れないことを知って、ある意味で当然なのかと思うところもあり、ブログを書く理由とともに、今の時点でちょっとまとめておこうと思いました。

そう思わせた記事はこちらであり、本家の方も落ち着いたみたいですので、こっそり尊敬の念をこめて。

いつも以上に個人的な内容であり、ここからは上記の方なんかとは比べものにならないくらいしがない超無能者の話ですのであしからず。

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結果としての博士号

運良く博士取得までいったけど・・・

タイトル通り、これは人文系大学院というもっとも世の中で役に立たないと思われている分野に進み、ポスドクになって徹底的な我が無能ゆえに研究界からドロップアウトした人の話です。

30すぎるまで社会人をしていなかったのはそれゆえです。

身バレしても仕方ないくらいに思っていますが、修士取得までに3年、博士取得までに5年、計8年大学院にいて、その後ポスドクを経て現在に至るといったところ。

博士取得からおよそ3年が経っています。

研究分野はもっともお金がつかない人文系の哲学とか倫理学とか宗教思想とかその辺です。

正直なことをいえば、まさにお金持ちの道楽のように見える人文系の研究分野の中で、博士課程修了というところまで行けたのは運が良かっただけのことであり、今となってはありがたいことだと実感しています。

正直、もっと早くドロップアウトした方が人生としてよかったのかもしれないのですが、まぁこのあたりは自然の流れでもあったので課程博士として修了できたことには意味があったかなと思います。

特に、田舎に生まれて学問の家系でも実家が太かったわけでもなかったので、そんな人間(しかも女)が自分の属していた分野で一定の研究成果を残せたことは意義深いことと勝手に位置付けていたりも(笑)

いずれにしても、勉強しながら研究をしていて、気がついたら博士号を持っていたという感じ。

結果としてとれただけで、それがすごいかどうかはあまり気にしてはいません。

(もちろん、博士を終えられたことは嬉しいし、研究成果についてはそれに足ると思ってはいますが。)

狭い視野で狭い世界で、今から振り返ると切なくなるほどの閉塞感でしたが、大海を知らない幸せというのもあってある意味では世間のことを知らない幸福な時期でもありました。

博士取得をすごいと言ってくれる人がいますが、確かに同期が10人いて、退院できたのは私1人でしたので、その程度にはといったところでしょうか。

そして、同期の半数くらいは音信不通で、今どうしているか分からないことを踏まえれば、契約社員として仕事ができているのも幸運の一種かもしれないと思うほどです。

(こういうのは、理系とはまた雰囲気や就職状況が違う世界ですね。)

研究者としての素養以外が求められる世界

まさに余計なことに消耗する日々でした

とはいえ、振り返れば良い思い出の院生時代&ポズドク時代ですが、今から考えるとちょっと歪んだ世界ではありました。

もともと、結婚や出産とか、友人関係の維持とか無理そうとは思っていましたが、実際に当時は殺伐としていたかもしれません。

院生の時代から研究の世界がどんどん斜陽になってきているというのは感じていました。

そういう滅びの美みたいなのに惹かれてしまうエキセントリックさが自分にはあるわけですが(笑)、かなり如実に現れていました。

周囲の同僚たち、確かに結構実家が太い人多かったですが、国立大出の人とかは奨学金などでいわゆる研究好きの人とかもいて、人材のバリエーションはそれなりにあったように感じます。

でも、結局研究に従事する時間よりも、資金獲得やボジションをとるための書類書きとか、所属する大学への滅私奉公とかで研究以外のことに忙殺されるような世界でしたね。

人事権のある方々はじめ、先輩後輩は同時にライバルですから牽制しあっていたりもして、(突出した能力があればこんなことないのでしょうが・・・)まさに不毛な世界。

それと日本国憲法第14条というのがありますが・・・

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。華族その他の貴族の制度は、これを認めない。栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

(日本国憲法第14条 e-Gov法令検索より

すべてにおいて差別はありました(笑)

かっこよくいえば、「区別」だったのかもしれませんが、日本であれば日本人が優先だし、宗教的な背景を持つ人は強かったし、男女でいえば、女性は常に下だったし、出身大学(果ては高校)・実家の状態・学者家系かどうかetc.は考慮されていました。

とにかく、そうしたしがらみに対立するばかりで、研究以外のことで消耗してしまう毎日は閉塞感を強めたかもしれません。(熱意というより、研究がしたいんだけどって思っていただけだった。)

それでもあれこれあがいたことも

海外行ったら余計に終わっている感を味わうことに

それでも、長らくやってきたことだったし、基礎学問を引き受ける存在がいなくなれば、学問分野は衰退するばかりなのだから誰かがやらなければ・・・的な身勝手な使命感もありました。

短いポスドク時代(だいたい、ここまでにかなりの時間がかかっていて、それもどうなのよ?って話なのですが)は、およそ3年間に日本を含む3カ国を転々としながらプロジェクトに関わり続けました。

海外での就業経験は、エキサイティングだった・・・なんてこともなく、結局海外に活路を見出すのも難しい(全体的な学究分野の疲弊)ことを目の当たりにするだけでした。

もちろん得た知見もありますし、プロジェクト単位で動くのが嫌ってわけでもなかったのですが、やはり不安定さはぬぐえず、やりたいことより世間受けみたいな風潮や数々の格差と戦うといったのは続けたいと思えることではなかったです。

続けようと思えば、もう少し続けられたと思うのですが、いずれにしても茨の道。

おまけに、上記の状況からいわゆる仲間も作りづらかったし、徒党を組んだら潰されるといった雰囲気にも辟易してしまうほど。

何度も言いますが、突出した能力や情熱があればよかったのかもしれません。

とにかく、このまま身体的・精神的に削られて生活するのは「自分の幸福」とは程遠いなと感じられたので思い切ってドロップアウトすることにしました。

これがよかったかどうかは分からないけれど、とりあえず底辺の生活でも契約社員の方が気楽だったし、かなり精神的には回復したような気がします。

みなさん、他人からの批判とか気にするなって言われるけれど、やっぱりかなり気にしてしまうし、それで萎縮してしまっていたところがあったなぁと。

今は個人として昔に比べて少し毒気が抜けすぎた感がありますが(笑)、これもまた一つの人生。

そして、のんきに契約社員を続けよう〜と思っていた私に契約切りの話がくるのですが、その話は次の機会に。

人生は色々ですが、底辺で浮き沈んでいる人間もいるものです。

でも、こんな感じで流れるままに生きるのも悪くないのかな?と思っている昨今でもあります。

(本人はいろんな意味で、ヤバさを実感していない説ってやつですね(笑))

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