最近、注目しているのが宗教とお金の関わり。
センシティブな問題を含んでいるので、話す方は多くないかもしれませんが、単純に、宗教って人々の価値観に大きく関わっているので、お金についても例外ではないよなって感じています。
特定の宗教どうこうというのではなくて、お金に対する考え方とかにも関わっているよなぁって深い意味もなく思ってまして、ちょっと気になった講演会に参加してきました。
ちょっとお金との関わりも含めて、感じたことetc.をまとめておきたいと思います。
今回のALFP講演会シリーズ概要
国際文化会館はお庭も素敵なところです
<ALFP講演会>
シリーズアジアの宗教−平和構築に宗教が果たす役割−
2019年9月4日(水)18:30〜@国際文化会館 岩崎小彌太祈念ホール
<ゲストスピーカー>
フォージア・サイード(社会活動家、UNDP パキスタン事務所ジェンダーアドバイザー)
ジハーン・ペレーラ(ナショナル・ピース・カウンシル常務理事/スリランカ)
ソムブーン・ジュンプレームプリート(仏教者国際連帯会議(INEB)事務総長/タイ)
司会:小川忠(跡見学園女子大学教授)
ALFPとは、アジア・リーダーシップ・フェロー・プログラムの略で、国際文化会館と国際交流基金が1996年から共同で実施されているプログラムとなっています。
アジア各地で社会課題に取り組む方々を招聘し、ワークショップや講演を通じて意見交換などを行い、人的ネットワークの拡大や強化を目指すものとなっています。
米日財団やMRAハウスが助成してくれていて、グローバル感を感じました。
英語の回も多いようですが、今回は英語/日本の同時通訳でしたので、英語が不得手でも内容が分かりました。
ちなみに、国際文化会館は、六本木にある公益社団法人国際文化会館のことで、さまざまなシンポジウムが開催されています。
最近は、日印協会とのパートナーシップを締結したのが新しいトピックとしてあげられますね。
旧江戸屋敷で、数々の歴史的偉人が居住した場所でもある同会館は、登録有形文化財に指定されています。
併設のカフェレストラン&庭園も素敵な場所だそうで、今後は昼間にお伺いしてみたいな〜と思っています。
スリランカの現状について
恐怖心が人々を暴力に駆り立てる?
基本的に、各講演者の活動紹介などがあったので、スピーカーごとにご紹介。
一人目のジハーン・ペレーラさんナショナル・ピース・カウンシル常務理事)からスリランカの現状について。
スリランカは多数派のシンハラ人が75%程度、タミル人が12%程度の国で、かつてインドからの侵略によりアショーカ王の頃から仏教が信じられている国です。
しかしながら、近年はイスラム系の人口増加によって、人々は恐怖感を感じているとのこと。
4月にあったイスラム教徒による複数回にわたるテロがそれを助長しているとのことでした。
なぜテロが起こるか?といえば、多数派のシンハラ人によって議席が確保されてしまい、マイノリティーが政治的発言をできない環境にあるからなのですが、逆にシンハラ人はシンハラ人で自分たちが仏教徒としてこの国を守らなければいけないと考えているそうです。
互いの民族が、それぞれの主張を展開するという点で平行線をたどっているようでした。
そういう環境下なので、異文化理解のためにラマダンの後のお祭りに他の宗教の人を招待したり、コミュニティ同士でスポーツ交流などしていたりと草の根運動が行われているみたいですね。
ペレーラさんの話としては、このスリランカの状況に関与できるのは、かつてのポルトガルやイギリスといった植民地の旧宗主国のような立ち位置の国(植民地にするというわけではなくて、シンハラ人とタミル人の仲介役をかって出てくれる国という意味で)とのこと。
現在、その位置につけそうなのが、日本や中国といったアジアの国々とのことでした。
ヨーロッパにはかつて辛酸を嘗めさせられているので、やっぱりそちらにも不信感があるそう。
中国はドナー国としてかなり投資を進めているのですが、国単位でローンを貸し付けている形なのでスリランカ国内でも問題視されているとのことでした。
その意味では、日本からの援助と期待しているようでしたが、お金のことも含め、他国干渉を必要とする意味ではスリランカの問題は根深いのかもしれませんね。
タイなどの現状について
若年層の宗教回帰も?
興味深かったのは、この他国からの侵略による歴史的な傷跡は他の地域でも同様であること。
タイについてはソムブーン・ジュンプレームプリート(仏教者国際連帯会議事務総長)さんよりお話いただきました。
タイは、上座系仏教の聖地的なイメージで、90%以上が仏教徒ですが、東南アジア全体からみれば、仏教徒はおよそ4割と意外とマジョリティーとしての存在感がないのが現状とのこと。
タイは植民地支配をまのがれた国として知られていますが、だからといってヨーロッパの国々の脅威を受けなかったわけではなく、仏教の教えが非暴力や慈悲を説くにも関わらず、積極的に暴力に関与していく事例も少なくないとのことでした。
かつては共産党員に買収された仏教僧によって民衆の煽動があったりと、異なる宗教同士だけでなく、宗教内部での食い違いなども増えているそうです。
最近は、都市部のミドルクラスの若年層が宗教回帰している事例もあって、特に気になりました。
Dhammakayaという寺院はイベントに100万人集めたりと大規模な仏教の活動をしているのですが、マネーロンダリングの疑いなどがあって、かなり問題視されているとのことでした。
企業からの出資などもいきすぎれば、現代社会との乖離も生まれてしまいますね・・・。
こうした活動は一長一短で、タイ仏教にはさまざまな主張を唱える急進的なグループがいくつもあるとのこと。
現在、そういったグループ同士の会話を利害が対立しない場所を設けて行ったりしているようですが、やはり議論は平行線(それでもやる意味があるとのことでしたが・・・)とのこと。
とはいえ、ミャンマーのロヒンギャの問題などもある通りで、他宗教への理解も大事とみて、仏教徒がモスクに足を踏み入れる機会を作ったりと、宗教内外の理解に努めているいくつかの活動が行われているのも事実とのことでした。
パキスタンの現状について
宗教を隠れ蓑に権力が暴力をふるう?
そして、宗教は(国家)権力の隠れ蓑にされているといった視点も大変興味深かったです。
パキスタンはテロ国家であるといった認識も一つの側面としてありますが、その中でも平和のために活動している人たちや不運にもなくなった方々もいるけれど、それが表に出てこない現実があるというお話をしてくださったのは、フォージア・サイード(社会活動家、UNDPパキスタン事務所ジェンダーアドバイザー)さん。
やはり、原理主義的な考え方が暴力を正義として賞賛されるものと人々の意識に語りかけている部分があるそうです。
結局そういったイデオロギーが若年層にも入り込み、女性が社会に出るべきではないといったイスラームの教えが歪んだ形で理解されてしまう現実に立ち向かう必要があるとのことでした。
宗教はその構造上、目に見えないいわゆる「something great」(神とか仏とか天とかブラフマンとか、八百万の神々とか)を集団の最上位に想定するので、(国家などの)権力が宗教の影に隠れがちだったりする(神とか仏などの方が世俗的な権力よりも基本は上位権力だから)という話、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、かなり目から鱗の考え方でした。
まずは、脱過激を希求し、次世代に偏りのない宗教教育が必要であること。
宗教が平和に対して果たしうる役割は決して小さくなく、争いの無意味さ(原義の教義は多くの宗教の場合説いている)や個人の心の中に平和を作っていくことが重要という結論でしたね。
宗教が引き起こす悲劇もあるわけですが、宗教そのものというよりも、それが拝金主義だったり国家組織だったり世俗的なものと結びつくときは注意が必要といえばいいでしょうか。
なかなか、示唆に富んだ講演会でした。
なんで、お金にならないのにこの分野に足を踏みいれたかな???って個人的にも思っていましたが、なんとなくそういう意味でも学びの多い機会になりました。
こんな世界もあるんだな、とみなさまのご参考になれば幸いです。