今となっては、本業と副業とともに「投資」が自分の生活の一部になっている私ですが、この生活について周囲に話すことは控えるようになりました。
もともと、職場などで話すことはありませんでしたが、プライベートで痛い目を見たので、より慎重にならざるをえないという状況です。
ただいまFP2級取得に向けて勉強していますが、そのきっかけになったお話を一つ。
「結婚してください」から一転
お金の話は人間関係を大きく変える
さて、すでにツイッター等でつぶやいているので、知れ渡っている事実ではあるのですが、(資産運用的な意味で)投資していたことが一因となり、当時おつきあいしていた方と破局することになりました。
もちろん、理由はそれ以外にもあるだろうというご意見はあると思います。実際、それだけではありませんが、投資という生活の一部に対する決定的な考え方の違いは、大きい影響を及ぼしたと考えています。(しばらく考えてみましたが、結果は同じでした。)
投資に限らず、お金の価値観は他人には容易に変えられるものではないといわざるをえないところが実感としてあります。
正直、相手から「結婚してください。」と言われてからの出来事だったので、まだ職場には言ってませんでしたが、親や兄弟などには迷惑をかけました。
指輪も見に行ったし、新居も探していました。
相手の状況も同じだったと思います。
そこまでして別れたいというのですから、よっぽどのことです。
というわけで、あれこれ一方的ではありましたが、恋人との関係は破局という形で終わりました。
彼から言われた言葉の一つは、「君を経済的に支えることができないから」でした。
(この言葉は正直支離滅裂なのですが、読み進めていただければ理解できるかと思います。)
学歴があるから金融について冷静に判断できるとは限らない
「博士」というのは難しいイキモノ
さて、本題は「投資についての意識の違い」なのですが、実際、そのイメージや概念の範疇は千差万別としか言いようがありません。
同じような家庭に育ち、ずっと公立学校で教育を受けて、同じ大学の同じ学部学科で4年間過ごし、同じ大学院の同じ研究科研究室で6年ほど過ごし、博士という学位をとった似た者同士でも、全然違うのです。
確かに、教育現場にいるので常に感じますが、金融教育という面では公的な教育は十分とはいえないかもしれません。
それゆえ、「学校で習わなかった。」と恨み言のように言う人もいるのもわからなくはないです。(ただし、ヒントは結構転がっているのですが・・・)
他人の金銭イメージや感覚を変えるのは難しい
他人を変えるより自分を変える方が簡単は本当
また、投資の話ではなく、二人の金銭的価値観が大きく違うことを痛感した出来事として、「結婚に関わる費用」がありました。
30代ともなれば、周囲が結婚していることもあり、それなりに情報が入ってきます。
ぶっちゃけ言うと、文系大学院などに進学している人の中には、おうちが裕福な方も多くて豪華な結婚式などがまだまだ行われている傾向にあります。
また、自慢ではないのですが、それなりに名前の通った大学(旧帝大や早慶とかじゃないけど(汗))でしたので、同期はごく普通に企業で正社員をしている人も多く、真面目に仕事をしていれば、なんだかんだで「普通の結婚式」を挙げるパターンも少なくありません。
「普通」の定義は難しいですが、いわゆるメディアとかで言われる数百万かかる結婚式をあげる等の結婚を思い浮かべていただければと思います。
とはいえ、彼氏は任期付きの研究員という立場、私も非正規雇用。
「普通の結婚式」を挙げるにはハードルが高いと思っていました。
女性として盛大な結婚式に憧れがないわけではないですが、生活が破綻しても意味がないですし、結婚式は自分たちのためというより、お世話になった方々のためにするもの。
・・・と私は思っていたので、最悪、写真をとって両親やお世話になった先生方とかを呼んでささやかに食事会でもできればいいかな、くらいに思っていました。
晩婚はその意味で肩肘はらなくていいな〜とか思っていたくらいです(笑)
(哲学系とか出ていると、先生方にも黙って結婚するとかすごい人たちもいなくもなくて、そんな不義理だけはしたくないと思っていました。いや、好きにしていいんですけど、そんなに嫌いだったの!?みたいな気持ちに・・・)
さて、その程度の金額であれば私個人で出せる範疇でしたし、イキオクレの娘をもらってくれる素敵な男性です、うちの親がポンと出してくれる勢いでした。(ああ、親をその気にさせてしまったことが今でも心痛い・・・)
ところが、元彼氏の方がなかなか納得してくれなかったのです。
普通、結婚雑誌は女性の方から・・・と聞きますが、私たちの場合は彼氏の方が積極的で結婚雑誌をつぶさに研究していました。(おもえば、そこは研究熱心だった(笑))
結局何が起きたかというと、そうした「作られた結婚式」や「周囲の結婚式」と今の自分たちとの乖離が激しいことに気がつき、彼一人がつぶれてしまったのです。
お金があるからできる幸せの形は確かにあることでしょう。
そりゃ、絢爛豪華な結婚式はその時は幸せな気分に浸れるかもしれません。
でも、そんなの一瞬です。
お金をかければいいってものではないはずです。
それよりも、二人で結婚雑誌見てて、例えば「白無垢が似合うと思うよ」と言ってくれるだけで私は嬉しかったし、幸せでした。(そんなことを言ってくれる人はいままでいなかったので。)
というわけで、彼からの言葉として「経済的に私を支えることができないから」という言葉につながっています。
推察するに、結婚を一つのゴールだと思ってしまったふしがありました。
もしかしたら、結婚生活自体も古き良きイメージが強く思い出されたのかも。
今となっては想像するしかないのですが、急にぷつんと糸が切れたような別れ話ではありました。
気がつかない鈍感なお前が悪いって言われるかもしれないなとここまで書いていて思いましたが(笑)、気がつかないと言われましても、私としてはお金をかけた結婚式がしたかったわけでもなく、彼に何かを強制したわけでもありません。
投資についても彼以外の人には、「コツコツ投資いいよ〜」(=今は、地頭の良い友人たちばかりだと思う)でちゃんと通じてましたので、こうなるとは思いもしなかったのです。
そして、もう自分がこれだ!と思ったら彼は私の話には聞く耳もたずでした。
彼自身の投資の失敗も重なり、投資をしている私のことを信用しなくなったというか、なんだかとんでもないようなことをしているような目でも見ていたのかなと思います。
(裏では彼のお母さんが投資を勧めてくる女が悪い的なことを言っていたりもしてその話はもうここで書くような内容ではないですが、色々傷つきました。我が家は両親ともども投資の先輩で、その点にも気づかず相手方の家のことまで把握できてなかったのも悪かったと反省しています。)
そして私はFPを目指す
自他両方のための安全柵として
正直なところ、私は安月給ですが支出が収入を超えることはなく、弱小ではありますがまぁ投資家と言っても差し支えないかな?という段階に来たかなと思えるようになってきました。
でも、それなりの年数を重ねた上のことで、誇れるようなものでもなく、みんなできることなのにな〜と思うのですが、よく考えればコツコツできる人の方が圧倒的少数派なのですよね。
彼は「経済的に支えられない」発言をしていましたが、養ってもらう必要も当座はなかったはずで・・・なかなか腑に落ちない感じです。(子どもとかできればまた別なのでしょうけど・・・そのために投資を始めたりしているわけで、負担を少なく済むよう工夫はしていたつもり。)
とりあえず、投資を勧めたことについて、よくも悪くも自分の素直なところが災いしたことは確か。
ひとまず、「(年数回の)優待もらった〜、わ〜い♪」みたいなものはツイッターに譲り(笑)、次なる犠牲者を出さないようにFPの資格勉強をしようと思い至ったわけでした。
少なくとも、FPとしてのアドバイスができるようになれば、他人を危ないギャンブル的な手法の投資に走らせることも少なくなるのかなと。(相手を信用しすぎるのは要注意なのだと肝に銘じておこうと思っています。)
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ぼちぼちコツコツしか取り柄のない私。
結婚という出来事を経て、さらに小さな幸せを増やしたいな〜と思っていた矢先としては辛い出来事ではありました。
しかし、お金のことについては脳内お花畑だと人を傷つける結果にもなることを学んだ良い機会でもあったと思っています。
今は前向きに、学校の先生×FP目指して頑張ります!