【書評】『ビジネス教養としての宗教学』にみる宗教とお金の関係性

以前より、こういった本が出たら読みたいな〜と思っていた書籍を読みました。

作者の白取春彦さんは、『超訳ニーチェの言葉』などの古典書籍の超訳シリーズの著者としても知られている方ですね。

一般書として読み物テイストが強いので、典拠などは曖昧で根拠薄弱?と思われるところもありますが、どうして資本主義が発展したのか?」といったような問題に対して宗教的な知見から説明してくれています。

特にイスラム教についての見解は、ISなどのテロ集団などの暴力の正当性を『コーラン』にあるとし、過激な言い回しが多いのですが、そのあたりを差し引けば、宗教とお金の関係性について学べるところが多い書籍かと思われます。

こういった見方をすることで、より資産運用への視座も広がる気がします。

私個人の読書録でもありますが、多くの方に読んでいただきたくご紹介させていただきます。


ユダヤ教のお金の考え方

『ベニスの商人』の影響ってすごいと実感

ユダヤ人といえば高利貸しのイメージ・・・。シェイクスピアの戯曲『ベニスの商人』で若者から借金の対価として肉体を差し出すように求めるシャイロックの狡猾なイメージが少なからずありました。

しかし、これもシェイクスピアの想像で、そもそもシェイクスピア自身が金融業を営むユダヤ人を見たことがなかったはずという話が一番の衝撃でした。

イギリスでは、1290年にユダヤ人が国外追放の憂き目に遭っており、1275年にそもそもユダヤ人による貸金業が禁止されているそう。

それでもユダヤ人の悪いイメージが世間に広まっているのですから、それだけ人々の中にも不満があったということなのだな、と思います。

ユダヤ人はその歴史上、不運な歴史をたどっていますが、彼らは『旧約聖書』を聖典としてとても大事にしており、貸金業を営むといっても『旧約聖書』のレビ記の記載については守っている側面があります。

利息をとってはいけないが、兄弟ではなく他国人からなら利子をとっても良い。とのこと

とはいえ、いろいろ条件はあって、貧窮に陥っているものは返済免除、そもそも利子法では6年が限度で7年目にはチャラだったそうです。

また、中世になると融資の概念が生まれ、多くの人がお金を借りて商売を行い利益を稼ぐようになるのですが、ユダヤ教の世界では、「生活に必要なお金」は事業用のお金とは別ととらえられていて、生活に必要なお金には高い利息をとってはいけないという考えが守られています。

(その意味では日本の個人ローンなどの方がよっぽどあくどいって感じですね。)

とりあえず、キリスト教の教会内ではアリストテレスの「貨幣は貨幣を生まない」という言葉を根拠としてラテラノ会議でキリスト教徒が利息をとることを禁止したため、条件つきでも他の仕事にうまくつけなかったユダヤ教徒たちが金融業で飛躍するという状況が生み出されたというのはとても興味深かったです。

中世におけるユダヤ教徒たちの苦難については以下のまとめがわかりやすいです。

キリスト教のお金の考え方

偶像崇拝への理解が深まりました

このように、キリスト教ではかなりお金に対して卑しいものという意識が高かったようなのですが、これは貪欲(=お金)が偶像崇拝と同じことにあたるとされていたから。

いわゆる拝金主義を戒めるということですね。

そもそも、マネー(MONEY)の語源が古代ローマの豊穣の女神ユノの別名モネタからというのも初めて知りました。

とにかくモーセの十戒にあるように、神以外を神としてはならず、偶像はNG。

お金の偶像化もよろしくないこととして、ローマ帝国時代には皇帝たちがこぞって自分の肖像などを硬貨に彫っていましたが、これをよしとしない人たちも多かったとのこと。

しかし、資本主義はプロテスタント的精神から生まれたというマックス・ウェーバーの説もあるため、こういったお金を戒める考え方が強いのになぜ?と思ってしまうところですね。

変化が起きたのは中世のキリスト教思想家トマス・アクィナスの頃からの模様。

トマス・アクィナスは「富自体に善悪があるわけではなく、それを倫理的に善なる生活を送るために使うのであれば良い」した人で、新たな解釈を教会を中心とする社会に提案した人でもあるそうです。

また、ルターをはじめとするプロテスタント運動の中で登場したカルヴァン派が、いわゆる人間の宿命は決まっているとする予定説を唱えたことも資本主義の発展には大きく貢献したようです。

天命として与えられた職業への献身でこそ、神の救いが与えられるとしたことで、天国に行きたいという信者たちの内的動機(恐れ)→仕事に励み、節制に努める→資本の蓄積というとてもネガティブにもみえる発想から資本主義は発達した側面があると説明されていました。

もちろん、これだけではなく、資本主義の発展には知的生産性の向上なども必要なので、世界各地との交流が増えていったことなど多面的に考える必要があると思いますけれどね。

仕事に励み、節制に努めるっていうは、投資にいけるタネ銭を集める的な要素でしょうか。

当時に人にとってそれは自由であることとは相反していたようですが、こういう側面が現代経済の発展につながっていると知られたのは、なかなか興味深かったです。

イスラム教のお金の考え方

アラビア半島の商業文化が基盤

イスラム教については、ムハンマドが商人であったために商人の言葉で神との契約も説明されているとのこと。

かつてイスラーム王朝ではユダヤ人などに対して暴力を含む小ジハードを実施したり、異教徒には高い人頭税を支払わせるなどして繁栄を極めました。

イスラム教は、相互扶助の宗教でもあり、ザカートと呼ばれる法的に規定されている公的寄付とサダカと呼ばれる個人の判断による寄付などがあるそうです。(サダカは匿名でなければいけないルール)

資産がなければザカート(喜捨)は支払わなくて良いとのこと。

あとは、イスラム教の商業世界では、無利子銀行の存在を外すことはできません。

これも「アッラーは商売をお許しになったが利息取りは禁じられた」という言葉が前提となっているそうです。

実は、無利子銀行の歴史は浅く、オイルマネーの預け先といった側面が強くて1970年代に多く登場した点も興味深かったですね。

利息をとらずにどうやって銀行業をやるのか?という話ですが、基本的には以下の2点。

  • ムダーラバ:貸付金の利息はとらず、投資の利潤から手数料をとるモデル。
  • ムラーバハ:個人宅をいったん銀行が購入し、それを個人に販売して手数料などの上乗せ金額を含め分割して支払ってもらうモデル。

資産運用業務と住宅ローンを組まない不動産関連の業務といえば良いですかね。

もちろん、このような銀行の役割が利息をとらないといっても名目をすり替えているだけでは?という話もあるようです。

しかしながら、商業の発達とともに状況に合わせてイスラム教の解釈は変わっていっています。

ムハンマドの生きていた頃とは違うわけですからね、その意味では独自の商文化が現代に即して発展していくのは自然のことなのかな、と感じます。

最近では、イスラム教徒の増加によってイスラム教徒専用の窓口がごく普通の銀行にもできているとのこと。

イスラム教においても無利子の文化は、守られようとしていて周囲もそれに合わせるようにサービスが発展しているようですね。

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