さて、久々に読書をしたので書評を書こうと思いました。
ついつい老後の不安などからお金を貯めがちな人が増えてきているかもしれません。
それは悪いことではないのですが、今を犠牲にしてまですることですか?と問いかけてくれる本、それが『DIE WITH ZERO』です。
「若いうちにしかできないことはあるから、やりたいのなら若いうちにやっておけ!」という熱いメッセージ、やりたいことをやるために、やりたいことリストに「〇〇代に」とか、「何年後」とか具体的にしてやろう、後悔しない生き方をしよう!!という強い言葉でやりたいことの後押しをしてくれています。
その点では、とても興味深く、読後にやりたいことをやろう!という気持ちになれる本です。
死ぬまでの時間を意識することで、残されている時間は以外に少ない!?といった気づきも与えてくれる良い書籍だと思います。
しかしながら、いまいちSayasayan的にはハマりませんでした。
期待値が高かったせいかもしれません。
ねこまにあさんのブログでもこの「期待値が高かかった」という文章があって、ちょっとホッとしました。
読みたい本はTwitterで見つかることが多いねこまにあです。今回取り上げる「DIE WITH ZERO」もその一つ。た…
ということで、完全なおすすめってわけじゃないけれど、一応ブログ記事として記録に残しておこうと思って記事を書いています。
結論からいうと、考え方的に好きじゃないな〜ってところが多かったというのが超がつくほどの個人的感想です。
おそらく著者との価値観の違いや死生観の違いが影響していたのかな?と思ったので、いろいろ考えた点をつらつら書きますね。
小難しい話をする気がないので、気ままに読み進めていただければ幸いです。
自分の人生は一代限り?
次の生を受けることは考えていない?
まず、死ぬときにお金なんか残さなくて良いっていうのは、「自分の人生は自分で終わる」っていう制限があってこその発想だと思うんですよね。
死んだら、天国に行くか地獄に行くか(煉獄に行く人もいるかもしれません)、いずれにせよこの世に二度と戻ってこないから生を受けている間は全力で駆け抜けてやりたいことなんでも叶えて達成感や充実感を得るのが素晴らしい!みたいに考えるのってすべての人がそう思うわけじゃないですよね。
もちろん、自分の人生なので好きなようにしたら良いし、欲しいものがあれば買ったら良いと思います。
でも、なんていうの?こういうキリスト教的考え?(極論すぎますが・・・まぁいいか)なんとなくピンときませんでした。
確かに、Sayasayanが完全に同じ状態で人生を何度も送れるわけではありませんが、生まれ落ちるのも運というかなんというか。
なんとなくですが、自分が死んだ後も日本は存続してるだろうし、子孫たちが生きているだろうし、なんならひょっこり再び生まれ変わって何度目かわからない人生を送るかもしれない・・・つまり人は輪廻転生するし、世界が悠久に歴史を紡いでいくように思ったりもするのですよ。(勉強しててもどうなるかはよくわからないんですけどね。)
だから、できなかったことがあったとしても、来世にでも期待したらいいような気もするのです。(運がよければお金持ちの家にでも生まれて苦労せずに旅行なんかもできるかもしれない。)
ま、人生観とか死生観とかの違いといえば良いでしょうか、そんなに焦らずともいいような気が・・・(←お前はのんきすぎるってツッコミお待ちしています(笑))
人生は突然幕を閉じることもあれば、全然閉じないこともある
だからこそ「思い出作り」や「効率」・「最適化」に踊らされてはいけない
たしかにね、人はいつ死ぬかわからなくて若くして亡くなる人もいます。
私も人生まだまだこれからでしょ!?って知人を亡くした経験などありますので、著者が言うことや体験談自体を否定するわけではありません。
また、何より若いうちにしかできないことは体力的な意味などを考慮すればあるといえばあるのでしょう。
でも、バックパッカーを経験した友人の話など(それに対して著者は若いときに自分もやっておけばよかったと後悔している)は、かなり運要素という感じもあって一旦離職ののち旅行から戻ってきて無事に仕事に復帰とかも結果論ですよね・・・という気持ちになりました。
まぁ、後悔するぐらいなら行っておけばよかったですね、と声をかけたいところではありますが、一方で書籍の中で盛んに人生で大事なのは「思い出を作ること」なのですよね。
良い記憶を思い出すと楽しいから、それを若いときにやっておけば、老いてから何度も思い出せて楽しめるじゃん!っていうので確かに一理はあります。
でも、過去のことばっかり思い出して楽しむのも・・・ねぇ?(そんなの聞かされる若者のこととか考えると胸が痛い)
まぁ著者が言いたいのは、お金をケチってばかりいないで、体験に使えってことなのですけれど・・・それで死ぬときに満足して死のう!って話なのですけど・・・。
めちゃくちゃ夢のない話をすると、長寿の国の長寿な女性(予定)なので「最後覚えているかどうか分からないよ?やりたいことやったかどうかは雰囲気くらいしか残らない気がするんだけど!?(しかも周りに与える影響に対してぼけちゃったりしていたら確認のしようがない)」みたいに思ったりもしましたね。
変に踊らされて、自分の人生の生殺与奪の権利を奪われないようにしないといけないと、変に本を読みながら思いました(笑)
それにね、そもそも自分の人生に「効率」とか「最適化」とかって言葉自体使用したくないですし、多少バランスが悪くったって良いではありませんか?
生産性を追求するみたいなことが楽しい!とか生きている実感がある!とか意義深く思える人ならいいんですけどね。
でも、「楽しい」とか「美味しい」とか「素敵!」とかいう感情も一時的なものではあるんで、もっともっと!って変に思い出作りラットレースみたいにならないように注意といいますか。
あとはみながみな、一辺倒に優等生的な考えになることないかな、と。
自分より後にこの世に残る人たちに伝えたいこと
世の中「何もしないこと」を幸せと感じる人もいる
さて、ここまで長々と書いてきましたが、死後のことはわからないですから、自分の満足のいく人生を送ろうっていう点について大筋は理解できるし、やりたいことを我慢するほどの倹約とかはもったいないよ〜とか、年齢重ねるとやりたいこともなくなってきちゃうよ〜とか示唆にとんでいると思います。
でもま、私みたくちょっと小金ができたことでやりたいことが見つかるパターンもあったりするので、変に若いときしか〜とか考えなくていいし、体力的なことは過信しちゃダメだけど自分との折り合いさえつけば、いつでも好きなことをやれば良いと思うんですよね。
ただ、こういった書籍が人気になったり、この本を読んで「やりたいことをやろう!」って思う方は多いのかもな、というのは痛感しました。
そうすると、死ぬほど寝たり、ゴロゴロしたり、ぼ〜っとしたり、くったりしたり、ぬぼ〜っとしたり、えへへ〜ってしてみたりといった何もしないことが至高みたいなSayasayanみたいなタイプ、「非生産的人間は不幸な奴」みたいに周りからみられる!?とか余計な心配しか出てこなくなりまして・・・
死ぬ前に多少の猶予とかがあって、多少頭も働いていたら、みとってくれるであろう人に多分聞かれるよね・・・「何かやりたいことありますか?食べたいものありますか?会いたい人いますか?」みたいなの・・・みたいなことを考えてブルブル震えちゃうわけです・・・。
後世に迷惑かけたくないし、残る人たちに変な気遣いとかあの人幸せだったのかな・・・大した思い出もないみたいだけど・・・みたいなこと言われたら悲しくなっちゃうし・・・。(何よりそんなネガティブな気分に後世に残る人をさらしたくないですからね。)
なので、定期的に身近な人には「今、(何もしていない時間が多いだろうけれど)幸せです」ってことを伝えておかないとなって思いました。
ま、ブログ記事にしておけば、きっと誰かが見つけてくれることでしょう(笑)
いろいろ考えさせてくれた本、ということでご紹介しておきます。
著者の主観も少し強いけれど、それもまた文章の良いところです。
気になる方はぜひ、お手にとってみてくださいね。