就職氷河期✖️人文系ポスドクの悲哀についての一考察

普段、あまりこのような記事を書くことはないのですが、考えさせられることばかりでしたので、少しだけまとめておきたいと思います。

まずはこの記事ですね。

朝日新聞デジタル

 大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら…

自殺という選択肢をとられてしまったことたいへん痛ましく思います。

それが、自分だったかもしれないと思うとなおさらです。

ま、有り難いことに私は優秀ではなかったので、漫然と生きておりますが(笑)

いずれにせよ、私よりもずっと優秀で、しかも将来を嘱望されていた方とお見受けします。

どうしても、研究だけをしていた時代のことはネガティヴに表現してしまうのですが、私個人は、能力ナシと罵られてましたし、親元も離れていたので、(決して両親は研究に理解があったわけではない)正直境遇的に恵まれていらっしゃったんだなと思うフシもあります。

もちろん、人の苦しみはそれぞれですから、彼女の辛さは分かりません。

分かるなんて、軽々しく言える世界ではないことは知っていますから。

ただただ、SPDまでとっていた彼女が自殺という選択肢をとらなければならなかった状況はかなり闇が深いことが推察され、語れる範囲で、少し補足的なお話を。

女性差別(しゃべつ)の世界

連綿と続く文化居続けるということ

彼女は何度もアカデミックポストに応募していたけれど通らなかったことに絶望したとの解釈でいるのですが、これに対して女性研究者の立場の弱さをあげて、意見を述べている方もいます。

朝日新聞デジタル

 日本の博士をめぐる悲劇が繰り返されている。就職難から「博士漂流」が問題視されて10年以上。なぜ悲劇は後を絶たないのか。…

これは、研究の世界に限ってではないですが、確かに女性というだけではじかれることは往々にしてあり、その比率は高い世界ですので、無視してはいけないことです。

加えて、彼女の専攻はおそらくに日本の仏教思想の歴史と思われます。

門外漢の理解で恐縮ですが、日本仏教の世界観では女性の地位は相当に低く、出家を願っても、まずは男になる必要がある(変性男子)世界だったかと。

もちろん、正しく戒(ここでいうのは出家に必要な儀礼を含む)を授からなければ解脱など夢のまた夢ですので、女性に生まれた時点でかなりのハンデの世界です。

そして、この世界観は女性差別と認識されているわけですが、差別と書いて「しゃべつ」と読みます。

平易な言い方でいうと、ヨーロッパの方々がいうところの身分の「区別」のような感覚でしょうか。

こうした考え方が当たり前の世界では、普段のレベルから苦労されることもあったのではと偲ばれます。

海外へのチャレンジの是非

海外経験や専門以外ことの評価

また、彼女に英語の能力などを証明できるものがあればという言葉も聞かれます。

とにかくすごい盛り上がりでびっくりです。

SPDには、海外渡航が許されていますし、旧帝大を出られて、素晴らしい経歴をお持ちの彼女には、そうしたチャレンジの道もあったのでは?という考えも理解できます。

実際に、アカデミックポストにおける要件として求められる資質であったりするので、海外経験などがあれば良かったのではと思われるところもあります。

しかしこれも難しいところで、海外に出ればハクがつくとか言われたりしますが、日本仏教の思想史のポストが一番多いのは間違いなく日本なのでしょう。

海外に出れば出たで、日本の事情にはどうしても疎くなりますし、研究層も日本が一番厚そうです。

所属している研究室との縁が切れるようなことがあれば、あとは漂流するのみですから、専門外から見ても、海外への活躍っていうのもリスキーさを感じます。

まだまだ専門外のことをやるのは邪道とみなされていますし(それでごはん食べれるのが理想なのだけれど)、彼女自身もそれしかない!と研究に没頭していたようですから、視点を移すのは難しかったようにも思われます。

ここまで言いつつも、とてもお綺麗な方ですし、きっと素直な方だったのでしょうから、本当に他に道はなかったのか?と思わざるをえません。

生涯現役の弊害

社会構造上の問題

なんだかんだとお話してきましたが、まさに就職氷河期世代にとっては身につまされるお話であり、言い方が許されるならば、生きた時代が悪かったということなのかな、と。

就職が厳しかったように、研究の世界でもポストを得るのは厳しい時代が続いています。いかんせん、博士取得者増やそう時代などもあり、希望者微増世代ですので、ライバルはいるけど、ポストがあかない。

なんとか、非常勤職で食いつなげても、今度は生涯現役の号令の下で定年が引き上がり、なおポストはあかず、女性は家庭も育児も仕事すらやって当たり前の時代。

実際にご結婚もされたようですが、今はどうも金銭的価値を生み出すものを重視する人も多いですから、時間の大半を研究に費やす彼女は疎んじられやすかったかもしれないですね。

このあたりのことは詳しくわかりませんので、コメントは差し控えさせていただきますが、平たく言えば、とにかく人生に行き詰まりを感じるには相当の理由があったのだろうと推察されます。

しかし、この社会的な構造について誰かを責めているのではなくてですね、そりゃあそうなるでしょうねという話なのですよね。

そこからどうするか?を考えなければならず、こうした専門性の高い有能な方が行き場を失うという時代は、良しとされていいのか?という疑問はどうしても残ります。

ただ、指導教授と心中しなくて良いけれど、研究をやると決めたら最初から研究と心中するつもりではいなければいけないので、それがもっとも安定性を欠く行為であることは自覚しておくべきですね。(決して西村さんのことを悪く言っているわけではありませんよ、念のため。)

研究は後々に役立つことでもあるので、自分が生きている間に日の目をみることはないことって往々にしてあることです。

安定を求めるならば、研究は本当はしてはいけない、もしかしたら無駄かもしれないことを信念持ってやることなのですから・・・

と、こうした記事が注目されるのは、事実を多くの人に知ってもらえるという点で評価されるべきではと思い、今回は少しく考察記事を書きました。

この社会構造上の不平等は、就職氷河期世代が常に煽りを受けているのであり、そこに政府が着手しようとすることに一定の評価を与えたいなぁとニュース見ながら思っています。

「遅い」という声を聞くことが多いですが、上の世代から順番に行ったら、順当な順番に思えてきます。

むしろ、世間に「遅い」と言わしめるだけの需要がある(あった)ことに、着手するなんて…ある意味感動です。

日本はどちらかといえば小さな政府ですからね、期待とかしてませんでしたから一応見捨てないという選択肢をとるとは!という感じです。

どうせ失敗すると言う声もあるでしょうが、やらないよりやった方が良くて、数打たないと当たらないのですから、大いにやったら良いのではないでしょうか。

もともと、国はアテにならないのでしょう?と諦めの境地の方々もいるでしょうし、私も生温かく見守る所存なのですけどね。

役に立たないこと、無駄なこと、悪手を打つことを認めていかないと、結局自分の首をしめます

多少効率が悪かったり、無駄なこと、(今はまだ)金銭的価値のないものを認めていかないことには、日本における人文系研究が本当に衰退してしまうから。

同じような目にあうような人が出てきませんように、そして西村さんのご冥福をこころよりお祈りいたします。

まぁ、現実問題30代〜40代になって、新たなことをやるのは厳しいこともあるでしょうね。

少なくとも、自分の中で小さな変化を受け入れた経験がないと方向転換は容易にはできないことと思われます。

SNS界隈は意識高い人が多い印象なので、いわゆる「できちゃう人」多いと思いますが、少数派かなぁと。

あと、プライド問題とかでしょうかね。

誰でも持ち合わせているものですが…人によるかな?

個人的には、生活をダウンシフトさせつつあって、年下の先生とかの指示を仰ぎますが、全然問題ないですし、こちらの方が年齢アベコベで申し訳ないくらいです。

「なんでお前はこんなこともできないんだ」と暴言吐かれていた頃に比べれば、天国みたいな境地です(笑)(こういう精神構造も珍しいのかな?と最近思わないでもないです)

まぁ、でもなにかのきっかけで3年プログラム?が適応されたら、新しいチャレンジというのもあって良いかもと思わなくもないですね。生活のダウンシフトならぬ、アップシフトもありかもって実は思っていたりも。

お見本はお釈迦様!?

現代に照らし合わせると実は興味深い生涯

今回はガラにもない記事を書いていて、完全オフモードなのがこのブログの良さで、暗い話や堅い話、しないようにとやってきたのについにやらかしてしまいましたね。

というわけで、最後に明るいお話?を。

日本仏教とかで思い出したこととして、仏教の開祖であるお釈迦様の生涯について昔は気づかなかった解釈っていうのができるかも?って今回の話も含めて思ったんですよね。

生まれた時から母親に先立たれたりと不遇は不遇のお釈迦様ですが、若い頃に父親の愛情を一身に受けながら、「こんな日々が続くはずがない」って思っていたりとわりと現代の若者に似た雰囲気の青年として育っています。

お釈迦様がそのとき予期していたわけではないだろうけど、息子の代で釈迦族の国は亡国の憂き目にあっているので、実際に続かなかったということではあるんですよね。

国が亡んだ頃には、ある程度の仏教集団が出来上がっていて、お釈迦様は息子ラーフラを受け入れてラーフラは10大弟子に数えられるようにもなるわけですが、これってお釈迦様を企業の社長さんだとすると、10大弟子は役員みたいなもので、縁故採用的な?と思ったりも(笑)

とかくお釈迦様は、家族代々やってきた国家運営という事業を息子に受け渡した後、自らは修行者という自営業の人になり、小さな仕事から仲間が増えていって講演活動頑張ったりして、国とは違う組織を率いるまでになった的な…うまくいった起業家さんのようですよね。

29歳で一念発起して、最初は師匠につきつつも、違うな、とかこの人から学ぶことなくなったなって思ったら師匠を変えて、少し経つと気の合う5人の仲間とかとやっていくんだけど、結局なんか違うわ〜ってなって一人になって「これいける!」みたいな状況になって悟りを得たのが35歳のとき。

その後も「これ、難しすぎて一般には分からないんじゃ…」と悩みつつ、「いや、分かるやつにターゲット絞れば…」ということで昔の仲間にまずプレゼンしに行って、「いいじゃん、それ!」みたいになって再び仲間になるなんていうのも、スモールビジネス的ですね。

他にもエピソードはあるのだけれど、宗教をビジネス視点で捉えることがなんとなくできそうだなぁと。

※これは門外漢の戯言ですので、専門性とは無縁のものです。ご専門の方理解がなっとらんと思われるかもしれませんが、その通りでございます、ふと一般人が思いつきを書いているだけです。どうぞ、お捨て置きくださいませ。

大事なことは、お釈迦様もわりと早い段階で新しいステップを歩んでいること。

現代風にいえば、スタートアップでしょうかね。

歴史の名を残すお釈迦様ですら、35歳でやっと軌道にのっていて足掛け6年。

そもそもお釈迦様に生まれるまでに7回転生してますからね、凡人いわんをやです。

釈迦に生まれて悟りを得るまでの中で、では無駄なものがあったのかといったらすべて必要だったわけですから。

たまにはこんな見方をしてみても面白いかなと思いまして。

このブログは資産運用については中心ですが、でも裏テーマとしては金銭的価値がつかないものでも、それに本当に価値のないものはない、だからコントロールできるお金についてはしっかりコントロールして、大事なものを見失わないように、かつ時流をみながらぼちぼちいきましょうという綺麗事が潜んでいます。

ま、なんだかんだでぼちぼちも結構大変なんだけど(笑)

とりとめもなくなってしまいましたので、このへんで。

少しずつでも世の中が良い方向に向かっていることを願いつつ。

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