東証の歴史博士!石田さんと学ぶ、きんゆうの歴史♡第2回目レポート

2020年9月24日(木)に開催されたJPX×きんゆう女子。のきんゆうの歴史を学ぶ10回シリーズ第2回目の参加レポートです。

今回は、指令経済だった律令制の時代から市場主義経済がはじまった頃のお話でした。

指令経済とは?と思った方は1回目のレポートをぜひご覧くださいね。

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さて、このきんゆうの歴史を学ぶ女子会、女性向けかと思いきや、結構がっつり教養講座レベル(笑)

大学で講師も兼任されるJPXの石田せんせいによる白熱講座は、2回目も秋の夜長ながら激アツでした。

積年の疑問も解決の一端が分かり、興奮気味なSayasayanに私見にまみれたレポートですが、みなさまと情報共有できれば幸いです。

「お金は汚い」は裏切りの繰り返しだから?

助け合いから売り買いの世界へ

お恥ずかしながら、庶民中の庶民であるSayasayanは、お金のことをあまりよく思っていない時代が長くありました。

親に何を言われたわけでもないのにお金のことを人に言うのは憚られるとか、お金稼ぎが悪いことのように思われるのはなぜだろう?と疑問に思っていました

それで先日もつい、Twitterで呟いたばかりなのですが、かなりのリプがついてちょっとびっくりしています。(リプ追うだけで勉強になるレベル(笑))

貯蓄体質や投資嫌いは戦時中の影響が色濃かったり、お金持ちが嫌なイメージなのは軍事に加担して儲けた第一次大戦前後の成金のイメージだったり・・・確かに確かに・・・と思うことばかり。

あとは宗教との関係性を指摘してくださる方が多くて、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教etc.いろいろ出てきましたね。

関係ありそうだな〜と思いつつ、かなり一筋縄ではいかない難題です。

そんな中で、今回ちょっとしたヒント?をいただいたのですが、そもそも金銭を介さない助け合いの世界に売買という活動が入ってきたことが起因しているのではとのこと。

物を売ること=モノとの縁を切るという行為=裏切りに値すると言う価値観だったそうです。

利益というインセンティブを受け取ることだから、とても特別なことであり、異質なことであり、時に嘘や暴力にまみれた世界だった中世の日本。

株とかでいっぱい取引しちゃったら、それだけ裏切っているってことになりますね(笑)

物を売るなら人も売る・・・みたいなことも。

本来商取引は信用で成り立つ世界なのに信用できない事態が頻発している、そんな世の中からお金が汚いというのがそもそもデフォルトだったとのことです。

詳しくは専門的な書籍になりますが、こちらなどに詳しいとのことでした。

安野 眞幸著『日本中世市場論』, 名古屋大学出版会(2018) 

そこからいかに健全な信用のおける取引ができるか?が模索されたのが平安中期以降の日本だったそうです。

経済活動は中央主導から地方や寺社主導へ

暴力を駆逐するための信仰の必要性

さて、当初は国家主導で国を治めていこうとしていた日本なのですが・・・。

どうも日本の中央政府的機関は昔からコストをかけるのが好きではなかったようで、中央から派遣された国司たちを十分に監査せず、国司は好き勝手するわ、地方で採用された生え抜き郡司たちと対立するわでうまくいかず。

力ある中央の貴族や寺社は、すでにある土地は公有のものだけれど、新しく作れば私有にできるじゃん!とばかりに開墾しちゃうこととなり、当てにならない国司を飛ばして地方と直接コンタクトをとるようになったのが平安時代のことだったそうです。

それゆえ、後から墾田永年私財法などの法律が整備される始末で、後手後手に回るのは今に始まったことではないわけですね(笑)

そうした状況下、政治とは距離を置いて各地で分業化が進み、商品のやりとりが地方ごとに行われることになります。

つまり、法律も何もないところに、その地方ごとに自前でできるもの、できないものがあるため取引を行わざるを得ない事態に発展することに。

しかし、商業圏はいわゆる無法地帯なので、盗賊が襲われるなんてことも?

訴訟・暴力沙汰も後をたたず、円滑な取引のための信用と安全の確保が必要となり、何によって秩序だった商取引を可能としたかといえば、そこに神仏が登場するということになります。

いわゆる神仏の威光をかりて、「商売をして、悪さをすれば天罰がくだる」ということにした、信用をひとまず信仰で補ったといえますでしょうか。

まぁ、単純に信仰というのは建前的なところもあり、商人たちは座と呼ばれる組合を作り、どこかの寺社や貴族に帰属して神人(じにん)や寄人(よりゅうど)といった身分を与えられて活動していたとのこと。

塩を扱う塩座や油を扱う油座など、主要に扱う商品によって座は組織されていて、かなり大々的に貴族や寺社が商いをしていたことが知られています。

寺社などのバックは威光もあるけれど武装もばっちりしていて、その上での商取引を行っていたそうです。

それゆえ、座に属さない無頼者は殺されるなんてこともあったそうで、今とは考えられない世界ですね。

実は怖い!?日本中世の市場機能

信仰から文書契約へ、平和が一番儲かる!?

こうして貴族や神社仏閣が経済的に力をつけていくわけですが、平安時代中期以降、中央政府は何していたの?って感じですよね。

どうも中央的な機構はあったわけですが、いわゆる武士の時代の支配者は暴力ですべてを解決すればいいと考えていたそうです。

お寺などを財務省的に見つつも、いざとなれば武力でもってお金もとってくればいいという感覚だったようですよ。(もちろん、武装しているお寺は反発するわけですが・・・)

ということで、ますます各地方でそれぞれの市場機能が発達したとのこと。

とりあえず市場で起こったことなどは現地で解決するしかなく、市場では裁判や身曳き(隷属的身分におちること)などが日常茶飯だったようです。

生きるか死ぬか、結構殺伐とした空間だったようですね。

信用がないから、取引も人目に付く場所で大声でやりとりしていたそうです。

公共性のある空間、簡単にいえば人なかである公界(くがい)でなければ、取引が成り立たなかった時代ということでもありますね。

やがて、第3者を証人とする口頭ベースの取引も大変なので、文章化した契約書を交わすようになり、手形や株券の発行へとつながっていくとのことでした。

とはいえ、文章も簡単にかけては偽造物が出回ってしまうので、書式など結構複雑で正しく書けているだけで相当な価値があるレベルにまで高度になってしまったりと弊害も。(残念ながら借用証書の類は借金完済で破って捨ててしまうので、ほとんど残っていないのだとか。)

セキュリティの点などは、今のフィンテックの不正口座などと通じるところがありますね。

今まであまり考えてきませんでしたが、こうしてみると商業は嘘や欺瞞と表裏一体なのかもしれません・・・。

それでも、平安の世からおよそ1000年くらいで各地の商業活動によって導き出された結果が、平和な方が儲かる(笑)とのことだそうです。

なんともゲンキンな話ですが、円滑で効率的な経済活動にはいざこざとか殺人沙汰とかないにこしたことはないというところに帰着して今の商取引が行われているわけですね。

私は日本史は1ミリも覚えずに育ってしまったいい大人なのですが、ちょっと日本の歴史については見方が変わりました。

こんな感じで、知的好奇心を満たしてくれる濃密な女子会でありました。

次回はさらにお寺のお金事情など?も教えてもらえるようなのでとても楽しみです。

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