さて、大河ドラマで人気を博している渋澤栄一さん。
日本の金融史の中で、大きな出来事といえば、やはり明治の時代を迎えた頃とのこと。
長らくきんゆう女子。の歴史の勉強会でお金のことを学んできましたが、いよいよ欧米の知識や銀行制度といった仕組みが日本にも導入されることになった明治時代のお話に入ってきました。
第八回目の今回は、ついに?東証の前身、東京株式取引所ができるお話です。
ちなみに前回のお話はこちら。
大河ドラマ、「青天を衝け」が始まりましたね。 ドラマ云々、大河ドラマもあまり見ない人ですが、吉沢亮さんが大人っぽくなられてかっこいいな〜と色めきたっているSayasayanです。(歴史の偉人は美化されがちなので、そのあたりもさっぴきな[…]
前回、江戸時代から日本には日本なりの高度な金融システムが存在していたことを学びました。
今回は、そうした状況があったからこそ、実は新しいシステムを導入するのには骨も折れたというお話です。
時代の空気が欧米追随となる中ですが、彼独自の思想から銀行設立等に尽力した渋澤栄一さんのお話をまとめてみましたのでご参考になれば幸いです。
水戸学を学びながら金融を実地で学んだ天才!?
藩札の発行によって銀行の重要性と仕組みを理解
多少大河ドラマのネタバレみたいなことになっちゃうかもですが、そこはご容赦を(笑)
まず、渋澤栄一さんの経歴からいくと、ターニングポイントとしては若い頃に水戸学に傾倒し、忠君愛国や尊王攘夷といった考え方に染まったということ。(学生運動などが盛んなときにマルクスとかに傾倒した学生が多かったのとかと同じような感じ?これもかなり古いけれど・・・)
幕末から明治へと時代が変わろうとする中ですから、時代の空気がそうさせたというところもあるようです。
若い頃にはそういう意味でちょっとしたヤンチャなこともしていたみたいで、結果として生家を出ることに。
その後一橋家に拾われて慶喜が将軍となるため、流れで幕臣となった(しかも幕臣だったのは5年くらい)というなかなか面白い経歴の方なのですね。
そういった意味で渋澤栄一さんは、和魂洋才(日本古来の精神を大事にしつつ、西洋からの優れた学問・知識・技術を取り入れて両者を調和させていく)といった考えを強くもったそうです。
特に日本の儒学者荻生徂徠の考えを支持したとのこと。
江戸時代に学ばれた基本的な儒学(朱子学や陽明学)とはちょっと違って、より実学を重視する姿勢だったようです。
「やっぱり人を幸せにするにはお金も必要だよね」という境地をもとに、日本におけるみんなが幸せになるための金融システムの構築が求められて、それを実行した人の一人が渋澤栄一さんということでした。
また、渋沢栄一さんのすごいところとして、いわゆるビジネスのことや金融の知識などはどこかでも学んだわけではなく、まさに実地でその素養を培われたとのこと。
もっとも金融システムの理解を促進させたのが、一橋家にいたときに発行していた藩札を作った経験ではとのことでした。
藩札とは、文字通りその藩の中で使える私的な紙幣のこと。(今でいうところの地域振興券とかに近いですかね。偽造されないように手のこんだものになっていて、当時は版画で大阪にはたくさんの彫り師さんがたくさんいたそうです。)
当時の日本は金銀や銅貨が実際のお金として使用されていたけれど、物質的な量は圧倒的に足りない状況。
しかも一橋家の領地だった播磨藩は、特産品の木綿の生産や販売が思わしくなく、経済が停滞した状況だったので、まず御物産会所というところを作ってそこで木綿を一気に買い上げることにしました。
そうして代金をひとまず銀貨ではなく藩札で農家に支払う。(「いざというときは銀貨にするから言ってきて」と言いふくめる。)
そうすると、農家としても銀貨を置いておくと危ないし、銀貨にするのはいざというときでいいし、藩札は藩内では使えるのでそれで経済が回るということになります。
そして、肝心のいざというときの銀は、お上は持ってないので(笑)領内の富商にお願いして、供出してもらったそうです。
供出(=政府などからの命令で提供する)といっても、ただ出すだけでは富商たちはお金を取り上げられるだけなので、誰でも出したがらない。
そこで渋澤さんは、株の配当金のように、会所で利益が出たら出してくれた銀貨分に応じてインセンティブ(藩札)を出すよとした。
すると普段は使い勝手の悪い銀貨に交換にくるものはほとんどいなくて、インセンティブ欲しさに富商たちは銀貨を預けにくる・・・
ということで、最終的には銀貨を大阪の両替商などに貸して利息収入を得たりとしていたんだそうです。
おまけに領内は藩札がじゃぶじゃぶということでお金が増えたことにより、木綿生産も増えて品質も良くなり高値で売れる・・・ということで経済がよく循環した、この経験が体感的に渋沢栄一さんに金融の知識を身につけさせたということです。
銀行が株式会社だったので、両方同時に導入!?
渋澤栄一が目指したのは資本主義ではなく合本主義
時代は幕末〜明治、特に新しく開港された横浜などでは、外貨と日本の銀貨の交換などが起こっていて、銀行の必要性が高まっていました。
横浜開港後、為替会社と呼ばれる銀行に近いものが6カ所できるのですが、結局各地域の有力者に任せると一匹狼が集まる場となり、うまくいかなかったそうです。
(それでも、横浜はかなりすごい人たちが集まっていて、今の横浜銀行に最終的につながっているとのことです。ちょこっとだけ銀行のHPにも記載があります。)
やはり、外国人相手に利益を得てきた人たちが力をもっているので、生半可な世界ではないわけですね。
そこで第一国立銀行設立といった流れになるのですが、当時参考としたのがアメリカのナショナルバンク制度。
そして、アメリカのナショナルバンクは株式会社が前提ということで、なんと日本に銀行ができ、それは株式会社という形をとることに!
といっても、西洋で盛り上がる資本主義は個人が基本。
西洋の資本主義は、経営者や株主といった資本家であろうが労働者であろうが、個人がそれぞれの利益のために突き進めば、資本が適切に配分されるといった考え方になっています。(逆をいえばバラバラに行動すれば利益が疎外されるという意味。)
とてもキリスト教的な考え方で、あくまでも「個人」に責任があるという考え方にもつながっていると思います。
(もちろん求められるのは「立派な」個人であることはどこの世界でも同じなのですが、そうじゃないから自由な経済主体が動くと結局摩擦は起きるんですけどね。)
これに対して渋澤さんが唱えたのが合本主義という考え方。
みんなから資本を集めるという意味では資本主義と変わらないのですが、経営者・株主・労働者が「国(全体)のために」お金を出し合うというのがベースにあったようです。
全体主義的というか、せめて自分や家族のため、できればさらにその周辺の人々を幸せにするためという理念があったみたいです。
良くも悪くも、本当に日本人らしい発想だなぁと思いました。
もちろん、渋澤さん自身は、水戸学の流れから「お国のため」(逆にいえば海外は眼中にない)と大きな視野でいたわけですが、じゃあ渋澤さんと同じように当時のエリートや経済的に上流にいる人たちがそう思っていたかどうかは別問題で・・・
銀行設立→東京株式取引所の設立へ
トップの思考とインセンティブが欲しい人の思考は違う
おまたせしました、第一国立銀行が設立し、いよいよ東京株式取引所の設立となります。
銀行を作ったのは良いのですが、日本初の株式会社の株を持っていることがあんまりいない・・・
日本初のエクイティファイナンスだったわけですが、不発に終わってしまいます。
それもそのはず、資金調達のためには有価証券である株券が売買できないと始まらない!というわけで、取引所の設立が切望されることになります。
そして、株式会社である東京証券取引所が作られることになります。
ここでの株式会社というのは結構ポイント、当時株を保有するような有力者たちは、横浜組をはじめ、いわゆる成り上がった自分の利益だけを追求して人を蹴落とすことをなんとも思わないような人たち・・・
ということで、「株式会社の有限責任」(株主は出資額以上の責任を負わない、逆をいえば責任をもつことができない)が、好き勝手しがちな当時の猛者たちのストッパーの役割を果たしてくれたそうです。
なかなかネガティブな要因ですが、こうして日本に銀行や株式等の(有価)証券を取り扱う取引所が設置されたわけですね。
なかなか渋澤さんの理想通り・・・とはいかなかったようですが、株主にはいわゆる配当金というインセンティブもあるわけで、お国のためといっても普通の人にはインセンティブが必要よね・・・という現実路線な視点もあって興味深かったです。
人を動かすということは、理念はありつつも、マス層に動いてもらうにはどうするべきか?という視点が必要なのだなぁとつくづく思わせられました。
また、渋澤さん自身は(少額でもいいから)多くの人に市場に入ってもらいたかったのですが、いろいろあって差金取引などの精算取引を導入してしまったため、結局取引所を開設しても株主構成がほとんど変わらないといった状態に。
これが何を引き起こしたかといえば、いわゆる声の大きい大株主が複数人いるといったことが長期間起こることを招きます。(まぁ先ほど言った通り、良くも悪くも有限責任ですが)
これは経営層が固定化するという事態を招きますが、結果論ではありつつも安定した経営が可能となり、銀行や取引所は株主の変動に動じずに事業を展開できたというメリットもあったとのこと。
そこから100年以上も経っていますが、今は個人投資家も気軽に投資ができる環境が整ってきたのですから、やはり今は昔よりよくなっているのだと思います。
逆に言えば、それゆえに金融教育も大事ですが、ここまでくるとやはり(倫理的な)金融教育も必要になってくるのかな、なんて感じたりもしました。
ということで、今回もとても示唆に富んだ内容になっていました。
きんゆうの歴史のお勉強会もついに残すところ2回となってしまいました。
日本史はさっぱりでしたが、少しは詳しくなったような気がします。(お金に関するところだけ(笑))