人生においていくつもの転機は存在するものですが、私の場合どうも仕事関係で色々ある模様。
非正規雇用でいきなり仕事を切られる目にあったわけですが、そんなときは一人になるのが一番だということもよく分かっていまして。
人によっては誰かにそばにいてほしいとか思うのだろうけど、そうじゃないときも人間はありますね。
誰かにいられる方が辛いことも往々にしてあり、一人で本とともに過ごすことが多いのですが、理由は以下の通り。
本は裏切らないし、精神的負担が少なくて済むので(人がいたら気遣えなくても気を使って消耗するだけ)、気持ちが本にだけ集中できてまさに気楽なのです。
でも、本と向き合う時間はバカにはできず、たいていそのときに必要な本と出会ったりするものなので、個人的にかなり重要な時間と認識しています。
そして、今回ベタではあるんですけど、心に響きましたので『LIFE SHIFT ライフシフト』をご紹介したいと思います。
『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)について
新たな時代に対する意識変革の重要性
ロンドン・ビジネススクール教授であるリンダ・グラッドソンは、世界中で知られるベストセラーになりました。
これからの時代にとって必要な眼差しが提供されていると思います。
(ただし、日本という社会構造が固定化した国の中では慎重に物事を進めていく必要性もありますが。)
ちなみに、まんが版もあります。
さくっと読めるのでエッセンスを知りたい方はこちらをどうぞ。
ただ、内容は、就職を控えた女子大学生の主人公を中心としているのと、物語にありがちなハッピーエンドなので現実味は乏しいかもしれません。
ライフステージの変化
これまでとこれからで違うこと
『LIFE SHIFT ライフシフト』の中で提案されているのは、働き方の多様性やライフシテージの複層化といえます。
男性・女性といった性別や年齢を超えて、学習や経験が必要となってくる時代で、いままでにない時代であることは間違いありません。
ただ、社会構造はすぐに変わるわけではありませんので、いきなり仕事をやめるとか海外に出ちゃうとかキャリア形成には慎重な姿勢も求められるので、個人的に良い面ばかりではないという認識です。
もちろん、意識が変わっていかなければいけないのでしょうが、人間のアナログ部分を置いてきぼりにしてしまっているところもあるので、全員が全員対応できないかもしれないといった負の側面は薄く表現されているように感じました(致し方ないところですけどね)。
まぁ、良い面もいろいろあるわけで、以下のようなことが当たり前になるかもしれません。
- 大人になってからも大学に入り直して勉強する。
- キャリアチェンジがしやすくなる。
- 結婚することにも柔軟性が生まれたり多様な価値観が受け入れられる
- 常に複数のことを同時進行することに抵抗なくなる。
とはいえ、人生が流動的でリスク許容度の高さが必要な能力となってくるとなると、日本のような社会では生きづらいと感じる人も出てきそうだなと。
まぁ、構造改革はずっと遅れるとも思っていますので、多くの人にとっては気になるようなことではないのかもしれません。
階層社会に関する一考察
もともと凝り固まっていたわけではないのですが・・・
この書籍を読んで強く感じたことは、どうも世間の常識といったものが固定化されすぎてきた歴史があるなということ。
社会制度として、階層化が進んだという意味では社会的な発展とも見てとれるわけですけどね。
階層社会には、メリット・デメリットがあってよくよく考えると、特に日本はそこまで縛られることなんてないように思われる現象だったりします。
アジア圏で有名な階級制度といえば、やはりインドのカースト制度ですが、カースト制度に合わせて発達したのがやはりライフシテージの遵守です。
カースト制度は以下のようなピラミッドのような階級制度。
そして、それぞれの階層ごとに、通過儀礼(誕生式・成人式・結婚式・葬式etc.)を行うべきとされています。
通過儀礼の重要な要素として、各ライフステージへの移行を明確にすることが挙げられます。
日本の士農工商も同じような制度だったわけですけど、人間とは不思議なもので、階層が決定すると、「自分は本当にこれでいいのか?」とか「この生き方に意味はあるのか?」といった疑問が生じてくるようなのですね。
したがって、職分論といった生業に対する意味づけが行われるようになり、規定が増えたりします。
インドでは、古来よりアーシュラマ(=生活期)と呼ばれるライフステージが存在しています。
そもそも、アーシュラマとは上位3つのヴァルナ(バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ)に属する人が送るべき人生の諸段階のこと。
- 学生期・・・義務教育を含む学習期間。まさに学生さんの時期
- 家住期・・・結婚をして家庭生活を送る期間。男性は一人前の成人として振る舞う時期。
- 林棲期・・・息子に家督を譲り、いわゆる隠居する時期
- 遊行期・・・最後に自分の死に場所を求め、修行者のように過ごしたりする時期。
時代を経て『マヌ法典』が作られるようになると、「学生」→「家住」→「林住」→「遊行」期を過ごすのが理想的生き方とされました。
これには、メリットもあればデメリットもあるわけで、同調圧力といえばそれまでですが、法律のように決まっているインドと日本の状況はかなり違います。
もちろん、日本には士農工商っていう制度がありましたし、その中で職分論なんかが流行って社会のために求められる人物像を実現するため、義理や人情が蔓延したという背景もあるわけですけどね。
しかし、これは一つの選択肢だったはずであり、もう少し遡ってみると古い『ダルマ・スートラ』の中には、生涯において、幼児期〜青年期に「入門式」を終えて、「学生」「家住」「林棲」「遊行」期のどれか一つを選択して生きるように説かれていたりもします。
つまり、人々が社会生活を営むようになって、自らレールをひくようになってしまった部分があるということ。
同時に、一生学生だった人とか、一生隠遁生活していた人とかも当時はいたということでもあります。
自己責任なんて言葉を使わなくても、そうした多様な生き方ももっと認められていくと良いのだろうけどなと思わずにいられないところですね。
いずれにせよ、改めていままで当たり前に思っていたことがすべてではないことを実感しました。
旧時代と新時代のはざまで
今に集中することと将来を見据える必要性
結局のところ、自分の人生には自分で責任を持ち、その時々に柔軟に対応していくことが必要ということ。
100年時代になると、長く生きるかもしれないし、生きないかもしれず、こればかりはどうなるかわからないから後悔しないように今に集中すること(もちろん、社会的役割やプライベート両面において)がまずは大事だということかな、という感覚です。
同時に、100年生きるかもしれないことを想定し、将来を見据える必要性もあるということ。
パラレルキャリアが一般化していくだろうけど、移行にはいずれにせよ時間もかかり、転職などもスキルがないと35歳といった単なる数字(35歳と36歳の差はさして大きくないとしても)で切られることもありそうという危機感は感じつつ。
何事も過渡期なのだと思わざるを得ない就職氷河期世代なのでございました。