「好きなこと」を見つけられないのが普通

好きなことをして生きていくことについて

最近、「好きなこと」を仕事にすべきという流れがあるような気がします。

本を読んでみると、確かにと思うことも多く、そのときはやる気になったりもします。

でも、よくよく考えてみるとそんなこと本当にできるの?と思わずにはいられません。

先に断っておきますが、人生を諦めているとかそういう話ではないですよ。

ただ、「好きなこと」があるっていうのもある種普通ではないことだと言いたいのです。

そもそも、「好き」というのは一種の価値基準

「好き」や「嫌い」があるのがある種異常という話

好きなことが見つからないって悩みますよね。

私も相当悩みましたよ、本当に。

だって、周りは自分が好きだと思うことを仕事にしたって人も実際いますし。

しかし、よく考えるとこの好き」というのは個人の価値観によるものですよね。

例えば、バナナがあるとしましょう。

バナナが「好き」という人はもちろんいます。

バナナが「嫌い」という人ももちろんいます。

人によっては「好きでも嫌いでもない」人もいるでしょう。

ちなみに私は「嫌い」だったりします(笑)。

でもね。

よくよく考えると、バナナに対して、人間側が勝手に「好き」とか「嫌い」とか言ってるだけですよね。

そのもの自体が良い悪いっていう善悪判断できるものでもないですし。

なら、なぜ「好き」「嫌い」という判断はできてしまうのか???

ということですが、時々ふとそう思って、心を無にしてバナナを食べます。

(どうでもいいことですが、意外とバナナを勧められることって往々にしてあります。みんな、バナナが好きなの?とも思ってしまいます。)

本当に冷静になると、あんまり好き嫌いってないんですよね。

もちろん、殺人とがダメでしょとか思うけど、ときどきどうでもよくなることあります。(犯罪しようとかこれっぽっちも思わないけどね。それは「好き」「嫌い」とは別の話)

とにかく、何事も本当は「好き」でもなければ「嫌い」でも無いような気がします。

どちらかといえば、そうしたことがはっきりしている人の方が異常といいますか。

突き詰めてみて本当に好きっていうのも、単なる思い込みでは?と思うこともあるわけです。

つまり、好きなことが見つからなくて当たり前

結論としては、とにかく好きなこと見つからなくても不安にならなくっていいという話。

これに気がつくまで結構かかったなぁって思います。

世の中にいかに流されているかって話ですよね。

でね、好きなことが見つからないのには、やってないから分からないとか言う人もいます。

まぁ、確かにね、そういうこともあるかもしれないですね。

でも、「好き」とまで思えるっていうのは思い込みであり、錯覚なので。

どちらかというと、「好き」は見つからなくて当たり前なんじゃないだろうかって思います。

もちろん、そういう錯覚も素敵だと思います。

人に迷惑をかけるわけでもない範囲でなら、たくさんの「好き」は悪いものではないと思います。

でも、「好き」なことがないからって自分をいじめることもないって考えるという話です。

「好き」がないからと自分をいじめすぎることはない

とにかく、私が言いたいのは、「好き」が見つからないからといって、それが悪いのかといえば、そうではないということ。

だから、自分の中で「好き」が見つかったら素敵な錯覚だなって思えるといいですよね。

それは幸せなことです。

でも、「好き」が見つからないからって、自分自身の価値がないということでもないわけです。

自分をいじめることはない、どちらかというと、それが正常だということなんじゃないかなと。

なんとなく、生きるのが辛くなったりしたときは、ここに立ち返ることにしています。

「好き」なことが見つかっていないからこそ、得られている自由みたいなものもあるはずです。

とにかく、ハッピーな人生のためにまずは現状、自分をいじめるのはやめるべきです。

いいんです、ひとまず何もなくても。

まずは冷静になって、少しずつより良い方向を考えればいいのだと思います。

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