最近、企業のCSR活動の取り組みなどについて思い至るところがあります。
国が頼りにならないならば、民間企業へ・・・という流れは古今東西ありましたが、文化資本の蓄積という意味では、日本企業に頑張っていただきたいなぁなんて思ってしまうところです。(企業が利益追求の世界であることはよく分かっているのですが。)
美術館などに関してはすでに以下のようにまとめました。
経済のことを専門で学んだわけでもなく、社会に出てバリバリと稼いでいるわけでもなく、世間から遠く離れて暮らしている我が身にとって、社会との接点は少ないので投資先の選定という意味ではいつも分からないことばかりです。 よく、自分にとってよく[…]
研究畑の底辺人間として、利益については考えなければいけないところだなぁとしみじみ。
今回は個人的な展望も含めて奨学金(基金財団)について一考察してみたので、以下にまとめておきます。
企業にとっての育英団体のメリット
CSR活動としての評価が高まるetc.
いわゆる奨学金は、日本学生支援機構が提供する貸与型が有名ですが、各企業(育英団体)から提供される奨学金も意外と数多く存在しています。
返済義務を必要としない給与型も多いのもメリットですね。
ただし、必要書類が多岐にわたったり大学の先生へのアプローチなどハードルが少し高いような気もします。
少額なものだと月々1万円程度(その分制限などはゆるい)のものもありますが、そのために面倒なことをするくらいなら、バイトで稼ぐくらいの人がいてもおかしくありません。
それに、返済義務を必要としないものの中には倍率が高いものもあり、確実にアテになるわけではないこと、それぞれの奨学金が個別対応すぎて、自分に合うものを探しづらいなどデメリットがわりとある気もしますね。
入力条件によって、最適な奨学金を紹介してくれるアプリなんていうのもありそうな気がするけど、そのへんどうなのでしょう?
とにかく、個人で調べるのはまとめサイト等があるとはいえ、難しいような気がします。
それに、返済義務がないとはいえ、企業の主催するイベントへの参加(奨学生同士の交流会)や研究についての報告書作成など面倒臭い作業が付きまとうこともあり、経済的な支援に対する負担として理にかなっているかどうかは???といったものもないわけではありません。
もちろん、奨学金制度は複数受給可能なケースなどもあり、選択肢の一つとして考えても良いものではあるとは思います。
とはいえ、日本学生支援機構などの金融事業化などを考えると、学生第一といった奨学金のあり方は揺らいでいるといっても過言ではないでしょう。
その意味では、維持が難しいものとはいえ、大学生などの奨学金受給者よりも育英団体などの企業側のメリットが大きいように感じられます。
企業側のメリットとしては以下のようなものが考えられます。
- CSR活動としての評価が高まる
- 企業として優秀な人材の育成に携われる
- 寄付する側・される側両方にある税制優遇
強い利益追求ではないとはいえ、やはり企業としてのアピール活動の一環といえば良いでしょうか。
もちろん、CSR活動にはさまざまな取り組みがあり、環境問題や国際貢献などをチョイスしても良い中、学生支援などに力を入れる企業には個人的に好感を持ちますけどね。
投資家としてちょっと気になる企業さんに昇格(笑)
逆をいえば、そうしたものが維持できなくなった時は、企業体力のなさや運営手腕に疑問が出てくるので、ある意味でゆるい投資における一つの指標です。
奨学金返済の肩代わりの是非
メリットとデメリットについて考えるべし
奨学金事業については、賛否両論あるかもしれませんが、問題になるとすれば、企業への忠誠心みたいなものをもたらすところでしょうか。
でも、多くの奨学金事業では、給与型奨学金を受け取ったからその企業に入社しなければいけないといった制約は存在しないので、真面目に大学で学業を優先すれば良いことがほとんど。
どちらかというと、奨学金返済支援制度や肩代わりをしますという企業が出てきているので、この是非が問題化されているのかと思われます。
もちろん良い面も大きいのですけどね。
大学生の3人に1人が奨学金を借りるようになった。その反面、その返済が重しとなり、社会問題となりつつある。そんな中、大学…
ただ、地方自治体や企業から就職を前提に制度が導入されるなど、この良し悪しは分かりませんね。
人材確保のための1政策といえばそれまでだし、確かにお金を肩代わりしてもらったら恩義は感じて企業にとどまる人もいるでしょうから人材確保につながるといえます。
日本は個人の借金に厳しいですからね・・・、大学で返済できるだけの能力を身につけるはずなのですが、やむなく返済が厳しくなる人もいるのは事実。
奨学金=借金として、借金持ちは人非人扱いの家庭もあるので、それを考えると返済支援や肩代わりは人によっては仕事選ばずでお願いしたいことかもしれません。
いずれにせよ、試験の合否を条件とするところなどもありますし、まだまだ少ないのでこれから広がることを期待します。
(そうして就職氷河期世代が見捨てられていくっていうのは悲しいことですが、これも現在進行形の現実・・・(涙))
資産運用のきっかけはじぶん奨学金作り
将来的には基金にしても・・・?
思えば、自分が資産運用を始めたきっかけは、何にも関与されない奨学金のようなまとまったお金があれば、自分の研究パフォーマンスはそれなりに良かったのではないか?というところから。
ごくごく田舎の小娘でしたので、学究を続けるのってやっぱり大変で、経済的負担は意識していなかったけど、続けられなかったことがその負担を一番物語っているなと思います。
もちろん、いくつかの奨学金を受給したし、それだけの価値があることをしていると思ってやってきたけど、それも本質的によかったか・・・う〜んって思ってしまいますね。
いずれにせよ、まだ十分な額ではないけれど、10年前に今の資産があったら、なんというか、ちょっと違う人生送っていたような気が最近特にします・・・(笑)。
まとまった資金を持ってよかったことは、より自分のことを俯瞰して見られるようになったことかもしれません。
とにかく、すぎた時間は取り戻せないのでそれを後悔とかしているわけではないのですが、時間や精神的余裕を間違いなく買えたと思うと、若かった自分に今のお金をあげたいという気持ちには常になりますね。
もちろん、今でも自分の学問への欲求を満たしたいから、それが可能になるための資産運用なんかもしているわけですが、目標値は相当下がりました。
死ぬまではまぁ、資産運用し続けて、人生の最後の方で晴耕雨読の境地に至れればと思い、日々過ごしている感じです。
人によっては、そうするとまとまった資産が残ることになり、「もっと使えばいいのに」とか「もったいない」とか言ってくれる人もいるわけなのだけれど。
大きく稼ぎたいと思うことも少なければ、大きく使いたいと思うことも少ないので、何ももったいないことはない感覚です。
ただし、自分が死亡した後に、自動的に国庫に入るとかは嫌だから基金も悪くないかもしれないと最近思ったりも。(ぶっちゃけこの記事もここまで書きたくて書き始めました(笑))
ということで、基金を作るという選択肢はどうだろう?などと思うように。
私のなくなった後運営してくれる信頼にできる人を発掘しないといけないけど、これもお金の行き先の一つとして良いかもしれないと考えています。(ま、そこまでお金がふえればの話なので、すべて仮定ですけどね。)
使いきれなかった分、別に惜しくもなんともないし、次世代に使ってもらえたら本望。
残ったお金は次の世代に有効活用してもらうために残したら良いと思うのは、性善説に立ちすぎでしょうか?
もちろん、使うだけ使われちゃって科学の進展がなかったら悲しいので、そうならないようにしたいですけどね。
国も地方自治体も企業も目先の利益を追求しがちなので、そういうところで漏れてしまいそうな研究にお金が出せるようになったらいいな〜なんて。
自分の名前を冠することができそうなので、Sayasayan基金設立を最近夢想しています(笑)。